お金はなぜ,お金なのか?

 経済に関して考え始めると,貨幣というのはなんとも不思議な代物だと感じるものです.「お金はなぜ,お金なのか?」に関する一般的な理解は以下のようなものではないでしょうか?

  • 貨幣以前の世界では物々交換による取引が行われていた
  • 物々交換は取引相手(自分の持っているものを欲していて,自分が欲しいものを持っている人)を探すのに大変な手間がかかる
  • この手間を省く便利なツールとして布や稲など,多くの人が欲しがる商品が「交換仲介品(medium of exchange)」となる
  • 耐久性や持ち運びの容易さなど,medium of exchangeとして優れた性質を持つ金・銀あたりが「貨幣」として選ばれるようになる
  • しかし,金・銀などの金属貨幣でも輸送の手間はあるし,盗難も怖い.そのため,金・銀の預かり証が登場し,そのうち預かり証そのものが支払いに用いられるようになる.【紙幣の誕生】
  • しかし,一商人が発行した「預かり証」は不渡り(預かり証を持参しても金・銀を返してもらえない)になることがある.不渡りに対する保険制度が必要になる.【中央銀行制度の萌芽】

経済学の講義や入門書では,だいたいこんな感じの説明が行われます.ちょっと昔の記事ですが,これなんか典型です.

 しかし,これ本当ですかね.

 今回はそのなかで「物々交換」について考えてみましょう.

 文化人類学者のデヴィッド・クレーバーが『負債論 ー貨幣と暴力の5000年』(以文社,酒井隆雄監訳)のなかで繰り返し指摘しているように,考古学や文化人類学の研究を通じて広範な物々交換が行われる前近代社会というのはどうも確認されないようです.そして日本の歴史を振り返ってみても,この種の発展段階論(?)はどうも妥当ではないようです.

 では,貨幣以前または商品貨幣やそれに近いmidium of exchangeのない社会での交換はどのように行われたのでしょう.「贈与と返礼」により行われたという指摘はマルセル・モースの古典的な業績(『贈与論』)以来の少なからぬ論者の注目するところです.

 贈与とそれに対する義務的な返礼を現代的な用語法に置き換えると,これは

  • 贈り物を受け取ることは,それに対して返礼するという債務を負った
  • 贈り物を贈ることは,後に返礼を受け取れるという債権を得た

という話になる.すると,貨幣以前のmidium of exchangeは債務・債権関係だったのではないかという着想に行き着くわけです.

 贈与を通じて形成される債務・債権関係が「貨幣」に進化するのはどのようなときか……詳しい話は近著を読んでいただくとして(お気づきかと思いますが本エントリは↓のステマ……というかモロマです),「信用できる債務者」が登場したときなのではないでしょうか.

日本史に学ぶマネーの論理

日本史に学ぶマネーの論理

 

 では,「信用できる債務者」とは何者か.一定以上の継続性・支配力のある政府があるときの政府は「信用できる債務者」の強力な候補となり得るでしょう.政府負債として貨幣が生まれた例などあるのか――と問われたならば,我が国における公的な貨幣はまさに「政府負債としての貨幣(銭)」に始まります.

 我が国初の本格的な貨幣とされる和同開珎(708年発行)は平城京遷都のための資金調達手段,なかでも人足への賃金支払い手段,として発行されたと考えられます.それに先行する富本銭(680年頃発行)も,成功はしなかったものの,同様の意図があったのではないかと思われる.我が国における貨幣は政府負債として始まったのです.

 一方で,政府負債の価値は何によって裏付けされていたのでしょう.私はここに富本銭が本格的な流通貨幣にはならず,和同開珎においてそれが達成された大きな理由があると考えています.政府負債としての銭貨の価値の裏付けは「それ(政府発行の銭)で税金を支払うことができる」という税金クーポンとしての性質にあります.

 税の銭納化を進めることなく発行された富本銭は本格的な流通貨幣とはならなかったようです*1.また和同開珎銅銭もまた発行直後より価値の下落が続きます.そのなかで和同開珎銅銭の価値を安定させる大きなきっかけとして注目したいのが722年の税(調)の銭納化の拡大*2です.明示的に納税手段としての役割をもったことで,和同開珎銅銭は我が国における初の本格的流通貨幣になっていったわけです.

 

 和同開珎,なかでも和同開珎銅銭がいかにして流通貨幣としての地位を獲得していったのかの詳細は書籍に譲るとして,

  • 我が国における貨幣が政府負債から始まり,
  • はじめに政府が負債を発行し,それを税の形で回収するという形で貨幣流通がはじまった

――要するにTax Driven Moneyから日本貨幣史が始まったという経緯は,今日の経済論争・論戦において,ちょっと注目しておきたいところですね.

 

 このように書くと,貨幣の歴史的経緯なんてどうでもよい(現代のマネーとは関係ないじゃないか)と思われるかもしれません.しかし,ここは意外と重要な話なのではないかと思うのです.

 貨幣に関する典型的な発展段階的な理解――物々交換の不便さを解消するために貨幣が登場したという話(貨幣ツール論)は,貨幣は実物経済に影響しないという貨幣ヴェール観,または貨幣は実物経済の鏡像であり実物経済を変動させる原因ではないという見解の源流なのではないでしょうか.だとしたら,その源流が虚構であることを示すこともまた貨幣に関する議論を深めていくために必要な作業ではないかと感じるんですよね.

*1:当時の取引記録には富本銭での取引が登場しません.まだ発掘されていないだけかもしれませんが,和同開珎銅銭よりも流通しなかったことは間違いないでしょう.

*2:畿内から畿内周辺八か国(伊賀・伊勢・尾張・近江・越前・丹波・播磨・紀伊)への拡大

5/30日発売『日本史に学ぶマネーの論理』(PHP研究所)

  久々の歴史ネタです. 

  取り扱った時代は7世紀後半から18世紀,古代から近世限定です.

  ただし,貨幣に関する通史ではありません.日本貨幣史の中で,貨幣とは何か・転換期の貨幣といったテーマを考えるのに適していると感じたポイントをつまみ食いしています.

日本史に学ぶマネーの論理

日本史に学ぶマネーの論理

 

 ここで少々自慢なのですが,本書の装丁は水戸部功さんに手がけていただきました.サンデルの例のとか,稲葉先生の「新自由主義」とか,ゲンロン叢書のあれとか……いずれもベストセラーばかり.永樂通寶のすかしもバッチリ決まってます.この表紙ならば著者が私でも売れるはず.

 即ジャケ買いすべき本ですが,なかには中身に興味があるという方もあるかもしれません.そこで,参考までに,少々詳細な目次を掲載しておきますね.

 

『日本史に学ぶマネーの論理』 目次


はじめに

第1章 国家にとって「貨幣」とは何か──律令国家が目指した貨幣発行権

1 はじまりの貨幣
日本最古の貨幣/貨幣に関する用語整理/古代貨幣の謎──富本銭の発見/無文銀銭から富本銭へ/富本銭プロジェクトの限界

2 本格的名目貨幣としての和同開珎
プロモーション戦略と改元/「つなぎ」としての和同開珎銀銭/和同開珎銅銭の受難

3 その後の和同開珎と銭のない時代
貨幣の3機能/価値尺度機能と貨幣発行益/古代貨幣の黄昏/皇朝十二銭──〈価値保蔵機能〉の喪失/貨幣発行益の本当の目的/政府貨幣の古代史の終焉


第2章 貨幣の基礎理論を知る──マネーは商品か国債

1 物々交換神話とマネーのヴェール観
欲求の二重一致/交換の要としての貨幣/貨幣は中立的か非中立的か/価格硬直性と貨幣の役割

2 負債としてのマネーと貨幣法制説
贈答関係とマネー/貨幣法制説と政府負債/貨幣発行益が生まれる条件

3 貨幣の完成と無限の循環論法
貨幣の本質はどこにあるのか/貨幣であることのプレミアム


第3章 信頼できる債務者を求めて──貯蓄への渇望が銭を求めた

1 古代から中世の日本経済
律令制と古代の高度成長/分権化する経済支配/衰退の中世と繁栄の中世

2 銭なき時代から貨幣の機能を考える
信用経済は現金経済に先行する/債権者がいない負債/資産と負債の割引現在価値/貯蓄手段の渇望

3 中世銭貨はいかにして貨幣となったのか
商品説から生まれ法制説によって成る/不足する銭とデフレーション/金融業の隆盛と室町時代の最適期/さらなる「信頼できる債務者」の登場/マネーの量は何が決めるのか/信用経済の終焉とその後の貨幣


第4章 幕府財政と貨幣改鋳──日本における「貨幣」の完成

1 三貨制度と江戸経済の260年
本位貨幣としての金・銀寛永通宝グレシャムの法則/新田開発ラッシュと江戸の経済成長

2 元禄の改鋳──名目貨幣への道
慢性化する財政赤字/名目貨幣の復活としての元禄改鋳/二朱金の発行と改鋳の進捗/改鋳による利益と改鋳への批判/貨幣発行益はどこから来るのか

3 転換点としての元文の改鋳
正徳の改鋳がもたらしたデフレーション重商主義の誤謬と根拠/享保の改革の意義と限界/そして元文の改鋳へ

4 完成する日本史の中の貨幣
田沼期の政治と金貨の銀貨化/家斉・忠成の改鋳と名目貨幣の完成/「日本の貨幣」の終焉

 

終章 解題にかえて──歴史から考える転換期の貨幣

税金クーポンとFTPL/信頼できる債務者としての政府/定常不況と貨幣の呪術性・神秘性/シニョリッジは誰のもの?/暗号通貨と複数通貨の可能性


おわりに
参考文献 

 

  本著の中心部分を書いていたとき(年末年始あたり)にはあまり意識していなかったのですが,昨今の経済政策を巡る論戦を受けて,元々はサブテーマくらいに考えていた「国家債務としての貨幣」についての言及多めに仕上がっています. 

 新刊が出るときくらいしか更新していない本blogですが,今回は発売前からぼちぼち告知と書籍に関連した雑談を書いていきたいと思います.「(個人的には)面白いんだけど議論の流れと関係ない歴史ネタ」,「細かすぎて一般書で書く内容ようじゃないもの」が結構あるものですから...

『新版 ダメな議論』(ちくま文庫)発売です

 2006年にちくま新書より刊行された『ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)』がなんと!12年ぶりに文庫として発刊されました! 奥付は11月8日ですが書店に並び始める&amazonで在庫有りになるのが今日(11月10日)のようなので,満を持しての宣伝エントリです. 

新版 ダメな議論 (ちくま文庫 い 76-2)

新版 ダメな議論 (ちくま文庫 い 76-2)

 

  文庫版ですから,旧バージョンを持っている人には関係のない話・・・・・・とおもわれるかもしれませんが,タイトルを見て下さい!『新版 ダメな議論 (ちくま文庫)』ですよ.「新版」だし,「論理思考で見抜」いてないですよ! もう一冊買うべきです……とはいえまぁ旧バージョンを底本にしていまして,新章以外の内容面で大きな差はありませんが(大風呂敷ですいません).

 

 改訂のために12年も前の自著を読み返すのはなかなか恥ずかしいもので……12年前の自分がこんなにもったいつけた(なんというかモタモタした)文章を書いていたとは気づきませんでした.こんなはなしに何ページも使うなよ!数行でまとめろよ!という箇所がけっこうある.そこで改訂の際は「くどい!」と感じた部分をばさばさ切りました.

 その結果文字数は30%ほど減少……その分を新しいデータを補ったり,新章を足して最終的には旧バージョンとほぼ同じ分量の新版となっております.「新版」の章立ては,

はじめに

第1章 常識は「なんとなく」作られる

第2章 ダメな議論に「気づく」ために

第3章 予想される「反論」に答える

第4章 日本経済のダメな議論

第5章 ネット時代のダメな議論

文庫版おわりに

となっております.第2章・3章は比較的旧バージョンとの差が小さいですが,第1章は2018年現在にあわせて改訂し,第4章(旧4章・5章を加減)はそれ以上に書き換えています.

 このように書くと,ここ12年の様々なダメな議論を紹介しているのか……と思われるかもしれませんが,旧バージョンでも取り上げたBSE牛海綿状脳症)問題やニート・フリーター論,構造改革なくして成長なし論などはそのまま生かして論じています.問題自体が落ち着いた今だからこそ,12年前に書いたとき以上に当時の主流だった説のダメさがはっきりわかるという部分もあるんですよね.

 一方,どうしても加えなければならなかったのが5章.旧バージョン発刊の2006年っていったらtwitterのサービス開始の年(日本版は2008年)ですよ.新聞やTV,ホームページやblogといいった媒体を用いた言説とは異なる,現代のダメな議論への注意点などをまとめています.

 

 しかし,『ダメ』が12年も前の本なのかぁ……2006年ってそもそも俺何してただろう……当時の発売告知エントリ「見本出来→来週発売 - こら!たまには研究しろ!!」みたんだけど……もう少しやる気出せよお前.まだ著書を宣伝しまくるのはちょっとなぁという羞恥心を持っていたことを思い出して赤面する43歳の冬でありました.

みんな必読の岩田規久男『日銀日記』

 先週,岩田規久男日本銀行副総裁の『日銀日記』が発売されました.すでに入手済みの方も多いかと思いますが,改めて本当にお薦め♪ 金融政策のお勉強と同時代史,日銀の中で何が行われているか・・・・・・同時に学べる本です.現在の金融緩和政策に好意的な人はもちろん,批判的な人にも楽しめるんじゃないかしら.

 

 就任当初から出版向けに日記をつけているとおっしゃっていたので,いつでるか・・・と心待ちにしておりました.あえて「日記」という形式にしたことで,金融政策の大転換から急速な経済状況の改善,その頓挫からの再生を巡る思考を時系列で追うことが出来る構成になっています.

 もちろん5年分の日記をそのまま転載したものではないため・・・ぜひ岩田先生におかれては日記の実物を保存いただき,10年後・20年後に次世代の歴史研究者の手にゆだねていただきたいと思います.
 
 さて,本書の第一のポイントは,登場する経済用語や経済のロジックの部分に加筆が加えられているところ.日本経済の動向を受けての岩田先生の思考や政策に関する見解を解説付きで追うことで「岩田流金融政策論入門」にもなっている良書です.2000年代の「量的緩和」と現在も続く「量的・質的金融緩和」の違い,マイナス金利政策やイールドカーブコントロール,オーバーシュート型コミットメントといった新政策がどのような思考から生み出されたのか追体験することができます.適度に雑談(住居や日銀幹部の日々の業務,食事など^^)が入っているので肩に力を入れずに読み進めます.
 第二のポイントは,国会での質疑に関する記述.日銀副総裁のお仕事の一つが,金融政策に関する説明責任を果たすことです.そのため,かなりの頻度で国会での質疑に登壇することになるわけですが……そこでの各政治家のやりとりの記録を見ることで登場する各議員の資質とキャラクターを知ることが出来るのも大きな特徴です.もちろん,リフレ政策への姿勢によって好悪の感情が入るのは致し方ないところですが,主張の面では全くの対局に位置する某議員さんへの意外な(失礼^^)高評価も興味深いところ.アベノミクス以降の経済政策において,誰のリーダーシップに期待したら良いのかを知る材料にもなります.
 
 章題でもある「リフレレジームの再構築」にむけて必要な政策は何なのか.これからのマクロ経済政策を考えるに当たって重要なヒントが得られる本書ですが,5年にわたる沈黙を経て復活した岩田節も全開なので……各方面から激しい批判が予想されます.その応酬を楽しむためにも手元に置いておくべき本でしょう..
 
 
 
(以下蛇足)
 ちなみに・・・・・・本書には私自身もちょくちょく登場します(といっても主に雑談部分や故岡田靖氏関連中心ですが).
 そのなかで私自身が僭越ながら岩田先生に意見具申をしたエピソードが数カ所取り上げられています. そのひとつが,2015年10月のランチミーティング.マネタリーベースの拡大よりも付利撤廃などが必要であり,財政政策としては人手不足の制約の少ない分野への公共支出が必要だと提案しています.一方で,2016年7月にはマイナス金利の拡大ではなく量の拡大が必要と提案しています.これを文字通りに解釈されると.矛盾しているように聞こえるかもしれないので少々解説を……
 2015年秋の具申は,追加的な緩和策を講じるとしたら何を行うべきかという話題についての私見です.次なる緩和策としては,現行の緩和スキームの延長・マイナーチェンジではない政策を打ち出していくべきだと考えました. その後,「これまでの延長」ではない金融緩和として,日本銀行はマイナス金利を導入するわけですが,これは今もあまりよい手ではなかったと考えています.実際,マイナス金利の導入は悪い意味で「これまでの延長」ではない--量的緩和手仕舞いに向けた動きとマーケットに把握されました.この予想を振り払うには,「期待に働きかけるための」ベースマネーの量的拡大が必要になる.これが2016年7月のマネー拡大必要性の提案です.
 また,財政政策の有効性・無効性についてはこれまでの論文・エッセイでも書いて来たように,継続性が(予想され)ない公的土木建設事業は人手不足の壁によって十分な景気浮揚効果を持たないだろうとの予想は今も変わりません.この点をもって,飯田は反財政政策派だという人もあるようですが,それはあまりにも一面的な評価でしょう.一過性の公共事業拡大が景気浮揚効果を持たないという主張は,その他の財政政策の有効性を否定することにはつながりません.さらには,継続性がある(と企業や労働者が予想する)公的土木建設事業の効果を否定するものでもありません.公共事業の経済効果についてはごく短い論文にまとめたので近日中に紹介しようと思います.あと,最近発売された『デフレと戦う』(日本経済新聞社)でも財政政策の話をしているのでご興味の方はよろしくです. 

 

或るマナーの話

 twitterで定期的に話題になる「謎のマナー」.今週の注目は,お銚子(徳利)からお酒を注ぐ際の方向について.

 

 

 という……まぁ確かに馬鹿みたいなルールですよね.そもそも,「注ぎ口から注ぐべからず」という,まぁ一休さんみたいな話ですし.

 

 でも,このルールを聞いたとき,私はふと懐かしく思ったのです.そして,TVをみたご年配の方のなかにも同じ逸話を思い出した人がいるんじゃないかな.少々長い話ですが,ご興味の向きは何卒最後までおつきあいをmm

 この謎マナーのルーツを戦国時代だの江戸だのいっている人がいますが,このマナー……というかしきたりが生まれたのは戦中~戦後のこと.しかも,名前を変えて今も残る一企業の社内ルールがはじまりです。

 本記事は同社を主要取引先(つまりは主要接待先^^)にしていた祖父からの伝聞なので不正確な部分もあるかもしれません.

 

 時は昭和19年.戦局は悪化の一途をたどっていました.ほとんどの若者(そして若者と言いがたい年齢の人まで)は兵士として戦地に赴き,それに対応して国内は空前の人手不足に陥ります.

 その頃,岩手の中学を出たばかりの俊三少年は脚に障害があったため,召集されることなく,故郷を離れ東京都本所区の工場につとめることになります.

 一方の工場側としては待ちに待った新人.しかも,中学まで出ている若い男性社員です.将来の幹部候補として社長以下,下にも置かない歓迎ぶりだったことでしょう.晩年の俊三氏もこの本所工場のことを語るときには決まって懐かしそうに微笑んでいたといいます.

 もっとも田舎な中学を出たばかりの何も知らない男の子.ちょっと「かついで」みたくなるのも人情.乏しい物資をなんとか融通して開かれた歓迎会.返盃しようとお銚子を手に社長の前に進んだ俊三少年に,社長は少し厳しい口調でこう諭します.

 

「お前さんは東京に出てきたばかりなのでしかたないが,お銚子は尖った方を上にし,丸みのある方から注ぐのが礼儀だ」

 

珍妙な礼儀をいぶかる俊三氏に,社長はこう続けます.

 

「いつ毒殺されるかわからない戦国の世から,注ぎ口そのものから酒を注ぐのは不吉として避けるのが武士の慣いだったそうだ.東京は元は武士の町.ちょっとした江戸のしぐさがそこかしこに残っているのだよ」

 

と.戦国時代のお銚子・徳利に注ぎ口があるわけがない(そもそも一升瓶が普及するまでの徳利は輸送・貯蔵用の中・大型容器)のですが, 純朴な俊三少年はすっかり本気にしてしまいます.社長もいつか種明かしをするつもりだったのかもしれませんが,時局がら宴会の席などそうあるものではありません.

 そして迎えた昭和20年3月10日.米軍のミーティングハウス2号作戦は超低高度・夜間・焼夷弾攻撃戦術が本格的に導入された初めての空襲として,下町地区に壊滅的な被害をもたらします.一夜にして東京の3分の1,約41平方キロメートルが焼失し,8万人を超える命が失われました.俊三少年の勤める工場はもちろん,社長も技師長も,事務員さんも…そのほとんどが亡くなりました.俊三は辛くも難を逃れたのですが,

 

「お銚子は尖った方を上にし,丸みのある方から注ぐのが礼儀だ」

 

社長のいたずらは,ついぞ種明かしされることなく,日本は敗戦を迎えます.

 戦後,俊三氏が選んだのは技術者としての途でした.氏が立ち上げた機械部品の工場は高度成長を経て,家電業界に確固たる地位を築きます.

 

その中で,いつからか俊三氏が経営する企業の飲み会には不思議なルールができました.

 

「お銚子は尖った方を上にし,丸みのある方から注ぐのが礼儀だ」

 

と.その理由を問われると俊三氏は決まって,

 

「戦国の世から,注ぎ口そのものから酒を注ぐのは不吉として避けてきた.私が初めて働いた工場で習った酒席の礼儀だよ.」

 

と微笑んだといいます.

 俊三氏はこれがかの社長のイタズラだったことに気づいていたと思います.しかし,生前の氏がこの「礼儀」を「うそ・冗談」として扱うことけしてはなかったようです.

 

 自身の技術者としての第一歩であり,兵役に行くことのなかった(当時の社会でこれがいかに生きづらいことか)自分を歓迎し期待してくれた本所工場.

 社長のイタズラから始まったマナーとその由来が「本当のことのように語られる」ことで,思い出深い工場,そしてそこで共に働いた人たちがどこかで生きているように感じられる.そんな感覚を氏がもっていたのではないでしょうか.

 

人の事績,言葉が他者の記憶として残されている限り,その人はある意味で生きているのかもしれない.一方でこれらが失われたとき,その人はあらゆる意味で死ぬのではないでしょうか.微かな記憶(?)を後世に残すことで,工場のみんなを「生き続けさせる」……そんな心情が生んだ世にも不思議なマナーなのではないかと夢想してしまうのです.

 

 

 

 

さて,話が長くなってしまいましたが,冒頭にお話した通り,本エントリは不正確な語りですし,想像で話を補っている部分も少なくありません.どの部分が,想像か補っておきますと……まず私の祖父は公務員ですし,よく考えたら私が四歳の時に亡くなったのでちゃんと話なんかしたことないし,俊三氏なんて人物聞いたことないし,お銚子を注ぎ口の逆から注ぐとか真面目にやってる人みたら笑っちゃうだけだと思います.あしからず♪