【告知】6/28 19時~ 神楽坂でトークイベントやるよ
現代ビジネスに書いた2000万円問題に関する記事――結構注目していただいているようで,ここぞとばかりに便乗告知です.
■概要■
「日本のマネーはこれからどうなる? ~貨幣の歴史から考える〜」
・2019/6/28 19:00-21:00
・新宿区神楽坂6丁目43 K’sPlace
・1500円1drink付(学割1000円)
を開催します.2時間のイベントですし,人数もそれほど多くはない箱なので70分くらい話して,10分くらい休憩&質問考えてもらって,残り40分は乱取り形式で質問に答えていこうかなと思います.
トークテーマは,
・和同開珎はいかにして貨幣となったのか
・貨幣内生説と貨幣外生説から考える室町期の経済
・MMT(現代金融理論)とリフレ論って何が違うの?
・日本人の経済観ってどこに源流があるんだろう
・仮想通貨は基軸通貨になり得るのだろうか
あたりを著書では書き切れなかった,自身の感想や予感を交えながら語っていければと考えております.
とはいえまだノーアイデアに限りなく近いので,著書を読んでくださった上で,この話もっと突っ込めるだろ!という論点ありましたらコメントなどいただければ幸いです.
『日本史に学ぶマネーの論理』誤植・訂正
拙著『日本史に学ぶマネーの論理』の誤植訂正に関するエントリです.
コメント欄に順次付け加えていき,増刷時に訂正したいと思います.
和同開珎の交換レート問題
面白いんだけど貨幣論関係ないなぁとか,重要なことなんだけど自分の中でしっかり整理・理解してないなぁとか,私の中だけでの思いはあるけど根拠皆無みたいな。。。。書籍に書くことができなかった部分のいくつかを,たまーにこのblogで追記していきたいと思います.
■まずは和同開珎の話から
和同開珎銀銭と銅銭の交換比率
内蔵寮解 門傍 紵二□ 銀五両二文布三尋分布十一端
です. 紵(麻の一種)の2□(□は重さや個数を表すと思われるが解読できず)の交換レートを表す木簡です.この史料から和同開珎の銀銭・銅銭交換レートを推測することになります.
701年(大宝元年)の布の規格<5丈2尺規格>1端=4常=8尋(=5.2丈)
です.ここから,
676年(天武5年)の布の規格<4丈規格>1端≒3常=6尋(=4丈)
で取り扱われていました.さらに3尋,つまりは0.5端の布は「三尋布」と呼ばれ,価値・価格の表示単位に使われていた例があります.この「三尋布」という計算単位がくせ者です.
と読むのです.すると,
銀5両2文(22文)=三尋布×11
銀1文=三尋布×0.5
=布0.75常 (3尋=1.5常)
となる.一方,銅銭については和同開珎銅銭5枚で1常なわけですから,
銀(無文銀銭)1文
という計算が成り立ちます.
ここで,「布1常=和同開珎銅銭5枚」が和同開珎発行から4年近くたってからの値であることに注目しましょう.和同開珎銅銭の価値は発行から十数年間下落を続けました.
ここから当初(708年)には「銀銭1枚=銅銭1枚」の公定レートで発行されたが,4年後の712年には「銀銭1枚=銅銭3.75枚」まで価値が低下していた....という等価交換とその目論見失敗説が導かれるわけです.
■両説の欠点と新仮説!
「1:10」説の欠点のひとつは,銅銭の価値が発行後4年たっても当初の公定レートから低下していなかったことになる点にあります.十年後(722年)には「銀銭1=銅銭25」まで低下する銅銭価値が発行から4年間は低下していなかったとするのは難しい.ただし,712年の「布1常=銅銭5枚」は「公定レート」なので,銅銭の価値を維持するためにあえて銅高のレートを示したと考えることもできます.また,その後の皇朝十二銭において,新銭1=旧銭10の交換比率が繰り返されたことなども,「1:10」説の傍証となり得るでしょう.
銀5両2文=布3尋分布11端
=旧規格の布11端
お金はなぜ,お金なのか?
経済に関して考え始めると,貨幣というのはなんとも不思議な代物だと感じるものです.「お金はなぜ,お金なのか?」に関する一般的な理解は以下のようなものではないでしょうか?
- 貨幣以前の世界では物々交換による取引が行われていた
- 物々交換は取引相手(自分の持っているものを欲していて,自分が欲しいものを持っている人)を探すのに大変な手間がかかる
- この手間を省く便利なツールとして布や稲など,多くの人が欲しがる商品が「交換仲介品(medium of exchange)」となる
- 耐久性や持ち運びの容易さなど,medium of exchangeとして優れた性質を持つ金・銀あたりが「貨幣」として選ばれるようになる
- しかし,金・銀などの金属貨幣でも輸送の手間はあるし,盗難も怖い.そのため,金・銀の預かり証が登場し,そのうち預かり証そのものが支払いに用いられるようになる.【紙幣の誕生】
- しかし,一商人が発行した「預かり証」は不渡り(預かり証を持参しても金・銀を返してもらえない)になることがある.不渡りに対する保険制度が必要になる.【中央銀行制度の萌芽】
経済学の講義や入門書では,だいたいこんな感じの説明が行われます.ちょっと昔の記事ですが,これなんか典型です.
しかし,これ本当ですかね.
今回はそのなかで「物々交換」について考えてみましょう.
文化人類学者のデヴィッド・クレーバーが『負債論 ー貨幣と暴力の5000年』(以文社,酒井隆雄監訳)のなかで繰り返し指摘しているように,考古学や文化人類学の研究を通じて広範な物々交換が行われる前近代社会というのはどうも確認されないようです.そして日本の歴史を振り返ってみても,この種の発展段階論(?)はどうも妥当ではないようです.
では,貨幣以前または商品貨幣やそれに近いmidium of exchangeのない社会での交換はどのように行われたのでしょう.「贈与と返礼」により行われたという指摘はマルセル・モースの古典的な業績(『贈与論』)以来の少なからぬ論者の注目するところです.
贈与とそれに対する義務的な返礼を現代的な用語法に置き換えると,これは
- 贈り物を受け取ることは,それに対して返礼するという債務を負った
- 贈り物を贈ることは,後に返礼を受け取れるという債権を得た
という話になる.すると,貨幣以前のmidium of exchangeは債務・債権関係だったのではないかという着想に行き着くわけです.
贈与を通じて形成される債務・債権関係が「貨幣」に進化するのはどのようなときか……詳しい話は近著を読んでいただくとして(お気づきかと思いますが本エントリは↓のステマ……というかモロマです),「信用できる債務者」が登場したときなのではないでしょうか.
では,「信用できる債務者」とは何者か.一定以上の継続性・支配力のある政府があるときの政府は「信用できる債務者」の強力な候補となり得るでしょう.政府負債として貨幣が生まれた例などあるのか――と問われたならば,我が国における公的な貨幣はまさに「政府負債としての貨幣(銭)」に始まります.
我が国初の本格的な貨幣とされる和同開珎(708年発行)は平城京遷都のための資金調達手段,なかでも人足への賃金支払い手段,として発行されたと考えられます.それに先行する富本銭(680年頃発行)も,成功はしなかったものの,同様の意図があったのではないかと思われる.我が国における貨幣は政府負債として始まったのです.
一方で,政府負債の価値は何によって裏付けされていたのでしょう.私はここに富本銭が本格的な流通貨幣にはならず,和同開珎においてそれが達成された大きな理由があると考えています.政府負債としての銭貨の価値の裏付けは「それ(政府発行の銭)で税金を支払うことができる」という税金クーポンとしての性質にあります.
税の銭納化を進めることなく発行された富本銭は本格的な流通貨幣とはならなかったようです*1.また和同開珎銅銭もまた発行直後より価値の下落が続きます.そのなかで和同開珎銅銭の価値を安定させる大きなきっかけとして注目したいのが722年の税(調)の銭納化の拡大*2です.明示的に納税手段としての役割をもったことで,和同開珎銅銭は我が国における初の本格的流通貨幣になっていったわけです.
和同開珎,なかでも和同開珎銅銭がいかにして流通貨幣としての地位を獲得していったのかの詳細は書籍に譲るとして,
- 我が国における貨幣が政府負債から始まり,
- はじめに政府が負債を発行し,それを税の形で回収するという形で貨幣流通がはじまった
――要するにTax Driven Moneyから日本貨幣史が始まったという経緯は,今日の経済論争・論戦において,ちょっと注目しておきたいところですね.
このように書くと,貨幣の歴史的経緯なんてどうでもよい(現代のマネーとは関係ないじゃないか)と思われるかもしれません.しかし,ここは意外と重要な話なのではないかと思うのです.
貨幣に関する典型的な発展段階的な理解――物々交換の不便さを解消するために貨幣が登場したという話(貨幣ツール論)は,貨幣は実物経済に影響しないという貨幣ヴェール観,または貨幣は実物経済の鏡像であり実物経済を変動させる原因ではないという見解の源流なのではないでしょうか.だとしたら,その源流が虚構であることを示すこともまた貨幣に関する議論を深めていくために必要な作業ではないかと感じるんですよね.
5/30日発売『日本史に学ぶマネーの論理』(PHP研究所)
久々の歴史ネタです.
取り扱った時代は7世紀後半から18世紀,古代から近世限定です.
ただし,貨幣に関する通史ではありません.日本貨幣史の中で,貨幣とは何か・転換期の貨幣といったテーマを考えるのに適していると感じたポイントをつまみ食いしています.
ここで少々自慢なのですが,本書の装丁は水戸部功さんに手がけていただきました.サンデルの例のとか,稲葉先生の「新自由主義」とか,ゲンロン叢書のあれとか……いずれもベストセラーばかり.永樂通寶のすかしもバッチリ決まってます.この表紙ならば著者が私でも売れるはず.
即ジャケ買いすべき本ですが,なかには中身に興味があるという方もあるかもしれません.そこで,参考までに,少々詳細な目次を掲載しておきますね.
『日本史に学ぶマネーの論理』 目次
はじめに第1章 国家にとって「貨幣」とは何か──律令国家が目指した貨幣発行権
1 はじまりの貨幣
日本最古の貨幣/貨幣に関する用語整理/古代貨幣の謎──富本銭の発見/無文銀銭から富本銭へ/富本銭プロジェクトの限界2 本格的名目貨幣としての和同開珎
プロモーション戦略と改元/「つなぎ」としての和同開珎銀銭/和同開珎銅銭の受難3 その後の和同開珎と銭のない時代
貨幣の3機能/価値尺度機能と貨幣発行益/古代貨幣の黄昏/皇朝十二銭──〈価値保蔵機能〉の喪失/貨幣発行益の本当の目的/政府貨幣の古代史の終焉
第2章 貨幣の基礎理論を知る──マネーは商品か国債か1 物々交換神話とマネーのヴェール観
欲求の二重一致/交換の要としての貨幣/貨幣は中立的か非中立的か/価格硬直性と貨幣の役割2 負債としてのマネーと貨幣法制説
贈答関係とマネー/貨幣法制説と政府負債/貨幣発行益が生まれる条件3 貨幣の完成と無限の循環論法
貨幣の本質はどこにあるのか/貨幣であることのプレミアム
第3章 信頼できる債務者を求めて──貯蓄への渇望が銭を求めた1 古代から中世の日本経済
律令制と古代の高度成長/分権化する経済支配/衰退の中世と繁栄の中世2 銭なき時代から貨幣の機能を考える
信用経済は現金経済に先行する/債権者がいない負債/資産と負債の割引現在価値/貯蓄手段の渇望3 中世銭貨はいかにして貨幣となったのか
商品説から生まれ法制説によって成る/不足する銭とデフレーション/金融業の隆盛と室町時代の最適期/さらなる「信頼できる債務者」の登場/マネーの量は何が決めるのか/信用経済の終焉とその後の貨幣
第4章 幕府財政と貨幣改鋳──日本における「貨幣」の完成1 三貨制度と江戸経済の260年
本位貨幣としての金・銀/寛永通宝とグレシャムの法則/新田開発ラッシュと江戸の経済成長2 元禄の改鋳──名目貨幣への道
慢性化する財政赤字/名目貨幣の復活としての元禄改鋳/二朱金の発行と改鋳の進捗/改鋳による利益と改鋳への批判/貨幣発行益はどこから来るのか3 転換点としての元文の改鋳
正徳の改鋳がもたらしたデフレーション/重商主義の誤謬と根拠/享保の改革の意義と限界/そして元文の改鋳へ4 完成する日本史の中の貨幣
田沼期の政治と金貨の銀貨化/家斉・忠成の改鋳と名目貨幣の完成/「日本の貨幣」の終焉
終章 解題にかえて──歴史から考える転換期の貨幣
税金クーポンとFTPL/信頼できる債務者としての政府/定常不況と貨幣の呪術性・神秘性/シニョリッジは誰のもの?/暗号通貨と複数通貨の可能性
おわりに
参考文献
本著の中心部分を書いていたとき(年末年始あたり)にはあまり意識していなかったのですが,昨今の経済政策を巡る論戦を受けて,元々はサブテーマくらいに考えていた「国家債務としての貨幣」についての言及多めに仕上がっています.
新刊が出るときくらいしか更新していない本blogですが,今回は発売前からぼちぼち告知と書籍に関連した雑談を書いていきたいと思います.「(個人的には)面白いんだけど議論の流れと関係ない歴史ネタ」,「細かすぎて一般書で書く内容ようじゃないもの」が結構あるものですから...