『日本の個人主義』(小田中直樹,2006年,ちくま新書)

『日本の個人主義』(小田中直樹,2006年,ちくま新書asin:4480063064)は直接的には戦後日本の社会科学思想史,もう少し絞り込むと大塚久雄論に仮託しての近代論です.大塚久雄氏が亡くなられたのはちょうど僕が本郷にいるころで,原先生(たぶん)が講義の最初にその旨をアナウンスされた記憶があります.


 個人主義・近代化・経済成長・国家主義という近代思想の核となるタームについて,戦後の我が国における受容と消化について概説されています.自律した個人を中心とする「個人主義」が本書では<自律による経済成長>個人主義と<自律による社会関心+経済成長>個人主義に分類されます.これは新古典派型・混合経済型となづけると経済学徒には座りがよいかもしれない.また,これに加えてコギト絶対主義としての個人主義から距離を置くポストモダンの考え方が第3の分類として登場します.

 日本における「個人主義」と言えば第一に思い至るのが夏目漱石の『私の個人主義』でしょう.上流&インテリ中産階級(まぁ,漱石の講演自体は戦前の学習院でのものなので外面上は華族様にむけてのメッセージではありますが)の自由とそれに伴う責務が主張されている点で前者の<自律による社会関心+経済成長>個人主義大塚久雄型の個人主義)を先取りするものなのかなと感じられます.

 以上の分類において,現在の経済政策の基本が<自律による経済成長>個人主義を基礎としており,それに対する<自律による社会関心+経済成長>個人主義の重要性が示唆されます.確かに,いわゆる主流派経済学というと本書で分類されるところの<自律による経済成長>個人主義というくくりが前面に出てしまいます.ネオ・リベラルの発想法はまさにここにあるといってよいでしょう.このようなネオ・リベラルの発想法に対して,本書は協調の失敗を例にその問題点を指摘しています.


 ただし,ここで注意すべきなのは主流派経済学に合理的な経済人の仮定の解釈です.これは,主流は経済学の研究者の中でも考え方が二つに分かれる.主流派経済学の基本発想は…


"自分の消費・労働のみから効用を得る個人"がその効用を最大化しようとして行動し,その結果経済厚生が最大化される.市場が十分にその機能を果たせないときには,政策による補完が有用な「こともある」.


というものです.ここでのポイントは"自分の消費・労働のみから効用を得る個人"という点.

 この基本発想のひとつの理解は,"自分の消費・労働のみから効用を得る個人"は目指すべき個人主義の姿である(したがって<自律による経済成長>個人主義の確立が必要)というものになるでしょう.

 しかし,もう一つの解釈は個人が何を目的関数としているかは実証的な課題であり,"自分の消費・労働のみから効用を得る個人"を想定するのは,どうもその仮定から出発すると予測力のある結論がえられる.故に,現代の経済主体の行動は,"自分の消費・労働のみから効用を得る個人"と考えてよい.時代が変われば"自分の消費・労働のみではなくいろいろな社会的状況から効用を得る個人"を想定して議論をするべきで,どちらの個人主義がよいかといった話題は経済学の問題ではない(場合によっては人が決められることではない)というものです.

 僕自身は後者の立場.そして,後者の解釈に従うとネオリベは社会を変化させるイデオロギーではなく,社会情勢をあらわす分類名(?)ということになるのではないでしょうか.