評論家の存在意義

 ほぼ毎日日本酒を飲んでいますが何か.
 今日は大七皆伝.生酛・超扁平精米・純米吟醸.常温が好みかな〜とぐだぐだ書くといつもの素人評論になってしまいますが,今日はちょっとした発見がありました.
 

 人に日本酒を勧めるときに,いつも困るのがその人の好みの味がわからないことです.

 最も一般的な分類は辛口と甘口どっちが好き?というものですが……日本酒度や糖度による甘口・辛口と実際に飲んでみて甘く感じるかどうかはあんまり関係ないのが困りものです.日本酒度が高いと「辛口」と表現されます.アル添されたお酒の場合,日本酒度が高いと確かにドライな印象なんですが……純米酒の場合,別に日本酒度が高くても「辛い」お酒にはならないことが多いようです.さらに,日本酒ファンではないけどそれなりの飲み手だという人は合成酒の甘さを想起して「辛口がよい」と答えます.
 やや使い勝手がよいのは,男酒・女酒という区分ですが,「男酒・女酒って何?」と聞き返されると「神亀みたいなのが男酒でぇ……」とか例示に頼らざるを得ません.


 日本酒は「それを語るための言葉」が不足しています.一方,ワインを語る言葉は多彩で,上手に初心者のイメージを喚起させてくれます.ブーケの表現ひとつとっても,日本酒の吟醸香はせいぜい「リンゴ・メロン・バナナ」程度ですが,ワインならばフルーツ・皮革・花・香辛料などを上手に組み合わせてワインの印象を伝えてくれるのです.味についてもワイン入門なんかで表現方法が伝えられます(こんなページもあるくらいです).

 このような表現が自然発生的に生まれるのは困難でしょう.「皮革香」とか言われても実際に皮の匂いがするわけではありませんし.そこで必要になるのが「用語を規定する者」としての評論家の存在です.日本酒評論の本は多いのですが,醸造に関する技術的な評論や食事との相性(ともに重要だと思いますが)の記述が多く,文学的な表現が上手な人は多くないようです.日本酒がワインみたいに気取った感じになるのはいやですが……味わいと香りについての上手な表現を編み出す文学的な素養のある評論家が必要なんじゃないかなぁと思います.