名言そして小島先生とは相容れないなぁという点

 宣伝だけだとなんなんでblog界隈のお話しをば.
 コメント欄でも時々指摘されているとおり,今年は思いっきりネット生活をサボってました*1.そのためblog界隈のネタにもすっかり疎くなってしまったんですが,mixi経由で小島先生の面白いエントリをみつけたので,引用

ぼくは、「現実を見ろ」という説教をする人を絶対信用しないことにしている。このことは、このブログを読んでいるとりわけ若い人たちに対して、老婆心ながら、人生の先輩としてアドバイスしておきたい。二言めには「現実を見ろ」という人には、多くの場合、裏腹がある。そんな手にはまっちゃいけない。実際ぼくは、子供の頃から、いつも「現実を見ろ」と説教されてきた。まず、父親に、次に教師に、そして、学校の先輩に、はたまた政治活動家に、さらには会社の上司に。でも、あとでわかったことは、そういう人たちのいう「現実」は、その人たちが色眼鏡をかけて見ている彼らに都合のいい「現実」であって、ちっとも本当じゃないってことだ。そういう人々は、人を理詰めで説得して自分の意のままに操縦することに失敗したとき、えてしてこのことば「現実を見ろ」を使う。

 僕はまだまだ小島先生ほどの人生経験はない*2ですが,この言葉はなんかグッと来る.かっこいい.「現実を見ろ」というのは評論子が一番回避しなければならない「世の中理屈じゃない理論」の極北とも言える.「現実」って定義がようわからんし.
 とはいえ,僕は小島先生のように論理で紡ぎ出された世界で真実を見つけていくべき……とは思わない.だって確実な真実なんて到達するのに時間がかかりすぎて腹の足しになんなそうなんだもん.
 じゃあ僕はなんと言って説教をするのか……オチは見えてきたかも知れないけど,


「データを見ろ」


ってことだ.それもなるべく良いものを,なるべく大量に.ここでいうデータってのは別に数値データでなくても良い.できるだけ多くのデータをつっこんで*3,主観的な意味で確度が高い手法(またはそうでもない手法)を振り分けていくのが政策研究.そして今までの所の手持ちの論理・手持ちの技法の中で相対的に信頼できるものを「売って」いくことが政策系売文業者のなすべきことなんじゃないかなと思う次第.そして僕は政策研究者兼政策系売文業者だけど小島先生はそうじゃないという点が方法論上の相違を生むのは当然&しょうがないことなんだろう.

*1:ついでに研究も執筆も教育もイマイチでした……ホント今年何したのかワケわかんないorz 中里さんとの共著も書いたのは結構前だし……

*2:=僕はまだまだ若者でおっさんじゃないことを暗にアピールする修辞表現.

*3:「現実」って結局その人の半径5mのデータだったりする.