自己責任論批判の作法と戦略


まずは前置き……長いので読み飛ばしてくださっても結構です


 ミクロ・マクロと言ってもミクロ経済学マクロ経済学ではございません.個別問題と全体のシステムのお話しについて.自己責任論批判を巡る論争を見る度に,今のままでは自己責任批判論は自己責任論を説得できないだろうなと感じてならないんです.

 自己責任論……特にここ数年の流行としてはニート・フリーター・ワーキングプアは「そいつらの努力が足りないせいだ」なのか,「社会の問題」なのかの論争において両者の論争がどうもまとを外しているように思えてならない.


 あるX君が失業しているとしましょう.「もし」X君が「職を得られるよう」「社内で評価される」「待遇が悪い仕事でもがまんしてやってみる」ための努力をもっとしていたら「X君」が失業者になっていた可能性はずいぶん低いでしょう.その意味で,「X君が失業している」ことはX君の「自己責任」ではあります.その意味でミクロの自己責任論は論理的には正しい.

 しかし,これをマクロの話に置き換えると事情は変わってくる.有名な例えに,


「今年のクラス目標は"全員がクラス平均以上の点を取ること"だ」


というネタがあります.言うまでもなくこれは不可能ですよね.こんな目標を立てる教員がいたらさっさとクビにした方が良い(笑).「A君のテストの成績が平均点を下回ること」は自己責任ですが,平均点をとれない学生がいることは自己責任でも何でもなく.単に平均という言葉の定義の問題です.

 失業の問題もこれと同じ.若年失業率がこれほど高く,有効求人倍率も悪化の一途をたどるなかでは全員が死ぬほど努力しても「失業しちゃう人」はいる.その意味でマクロの自己責任論にはなんの根拠もないわけです.

 自己責任論批判の中には……この区別が出来ていない例をよく見かけます.どんなに努力していても,どんな手をつくして来たとしても(ある特定のX君が)失業者にならざるを得ないのだとの主張はちょっと説得的とは言い難い.これに対して加えうる反論は,「才能が重要だから努力だけではきまらない」というものになるでしょうが……実はこれが僕が「自己責任批判論は自己責任論を説得できないだろうな」と感じる大きな理由です.話が明後日の方向に向かっていってしまっている.この論法を使い始めると「才能がないなら倍努力しろ」というマッスル理論で返されるのがオチです.
 ミクロの自己責任論はなかなか否定できない.あくまでもマクロの問題であることを忘れてはなりません.



ここからが本編



 失業・非正規問題の核心はマクロにある.そして必要なのは現在「失業・非正規雇用問題がある」ことの原因を自己責任理論では説明できないこと論理的に説明した上で,「努力をしても十分な収入を得られない人が"いる"」ことが「社会全体にとってものすごく損なこと」であることを示していくことが自分と意見を異にする人を説得する近道なんではないでしょうか.

 
 努力には二つのタイプがある.ひとつは生産性の上昇そして会社の利益上昇に結びつく努力(これを「効率努力」と呼びましょう).もうひとつは上司・同僚に気に入られる努力(以下「関係努力」).後者だと「ゴマすりのことか」と思われるかもしれませんが,「上司から見て頑張って効率努力をしているように見えるようにする」努力も典型的な関係努力でしょう.余談ですが,多くの自己責任論者では努力の二つの性質について無頓着なような気がします*1

 「失業・非正規雇用問題が深刻」な状態では,僕たちのエネルギーは「関係努力」のために費やされてしまう.上司も人間ですから,自分とよい人間関係にある部下ならば多少成果面で劣っても「あいつには将来性がある」「あいつは頑張っている」と考課してしまいがちです.同僚・部下からの評価が高い人のクビは切りにくいモノでしょう.その結果,関係努力の成果で首の皮一枚つながると言うこともある.

 以上はホワイトカラーよりの説明ですが,ブルーカラーについても*2同様の傾向はあるでしょう.工程の問題点を指摘し,効率を向上させて……上司に嫌われるというのではたまりません.

 しかし,この関係努力は困ったことに経済全体の生産性向上には全然役に立ちません.労働者の血と汗と涙は上司に気に入られること,職場で浮かないことについやされて生産性の向上に結びつかない.これは長期的な経済成長の停滞という大きな禍根を将来に残すことになります.第一,この種の関係の維持が至上命題になると個人は非常にストレスフルな日常を送らざるを得なくなるでしょう.


 自己責任論者が好む「努力」という言葉には二種類あり,現在のような状況では「社会全体にとっては無駄(だが本人にとっては死活問題の)」努力が優先される.これは社会全体にとって非常に大きな損失だ.「失業・非正規雇用問題が深刻な状態」で「もっと努力を」と求めても,社会全体は何ら改善することはない.だから自己責任論はしばしお控え下され,そしてマクロの労働問題が落ち着いているときに好きなだけ自己責任論をぶってください……これが僕の考える理論的な自己責任論批判であります.

*1:こんな簡単にわけられるわけねーだろ!と思う人もいるかも知れませんがそれは議論の本質とはなんら関係ありません.努力の種類が無数にあってそれぞれいろいろな比率で「生産性上昇」と「上司からの評価上昇」に結びつくと想定しても以下の議論は同じことになります.

*2:僕はブルーカラー職はここ十年やってないのであまりえらそうなことは言えません……どなたか現状をご教示願えればと思います.