古代聖王と中川前財相

 まぁメディアの発達した今日あそこまでまずい露出をしてしまったわけですから辞任すべきだというのはわかりますが……それにしてもあっさり辞めたなぁというのが正直な感想です.安倍首相,福田首相とさくっと政権を放り出す閣僚(どころかこの二人は首班ですが^^)を見て思い至るのが,『韓非子五蠹編』のこの一節.

白文:
堯之王天下也,茅茨不翦,采椽不斲,糲粢之食,藜藿之羹,冬日麑裘,夏日葛衣,雖監門之服養,不虧於此矣。禹之王天下也,身執耒臿以為民先,股無胈,脛不生毛,雖臣虜之勞不苦於此矣。以是言之,夫古之讓天子者,是去監門之養而離臣虜之勞也,古傳天下而不足多也。今之縣令,一日身死,子孫累世?駕,故人重之;是以人之於讓也,輕辭古之天子,難去今之縣令者,薄厚之實異也。(中國哲學書電子化計劃


意訳:
尭王の天下の頃,屋根を葺く茅はバラバラで,生木のたるきの先もそろえず,雑穀を食べ,豆の汁を飲み,冬には鹿の毛皮を,夏には葛衣(いずれも戦国時代から見ると未開人の習俗)を着ていた.今日では門番(周代には身体に障害のある者に与えられる職で通常歩行障害のある者が就いた……貧しい暮らしの代名詞)さえもこれほど苦しい生活はしていない.禹王の天下では,禹王自らが鍬や鋤をとって民に率先して働かざるを得なかったので,股はやせこけ,すね毛も生えない有様だ.今日の捕虜ですらここまで酷い扱いはされていない.したがって,古代に天下を禅譲したことは門番の暮らしを捨て,捕虜の労働を逃れたということにすぎない.故に,その頃の禅譲は評価するに足りない.今日の県令は突然死んでも,子孫は代々馬車に乗ることを許される.だからその位を重んじるのである.これ人の位を譲るや,古の天子の位を辞するのはたやすいが,現在県令の職を捨てるのは難しい.位に伴う実利がぜんぜん違うのだから.


 さて,これをもって「いや現代の政治家は派遣労働者・フリーターなんかよりずっと恵まれている」と言うことなかれ.問題は首相・閣僚の実利とそのアウトサイドオプションの比較なのです.昭和の御代にくらべ現在では閣僚の旨味は激減しています.いわゆる金銭的利益にとどまらずそれに伴う名誉や崇敬の念も比較にならないくらい薄い.この様な状態で粉骨砕身その職を努めよというのはなかなかに無理がある.
 これに対して,そんな利益だの何だのいう卑しい人間ではなく公平無私な英雄の出現をのぞむと言うのは確かに人情ではある.しかし,このような「天才」「英雄」に依存したシステムは(幸運と偶然に希望をかける以外)現実性はない.他方で,ならば政治家の実利を増やそうという提案にも与すことは出来ないんじゃないだろうか(少なくとも僕はそうだ).
 むしろ「政治家なんてやってられない」「閣僚なんてやってられない」と誰もが思う世の中は非常に素晴らしい世の中かも知れない.そしてそんな状態でもなんとかまわるシステムを整備することこそが現代に必要とされていること何ではないかと……酔っぱらってしどろもどろになりながら考える厳冬の夜であることよ.