或るマナーの話

 twitterで定期的に話題になる「謎のマナー」.今週の注目は,お銚子(徳利)からお酒を注ぐ際の方向について.

 

 

 という……まぁ確かに馬鹿みたいなルールですよね.そもそも,「注ぎ口から注ぐべからず」という,まぁ一休さんみたいな話ですし.

 

 でも,このルールを聞いたとき,私はふと懐かしく思ったのです.そして,TVをみたご年配の方のなかにも同じ逸話を思い出した人がいるんじゃないかな.少々長い話ですが,ご興味の向きは何卒最後までおつきあいをmm

 この謎マナーのルーツを戦国時代だの江戸だのいっている人がいますが,このマナー……というかしきたりが生まれたのは戦中~戦後のこと.しかも,名前を変えて今も残る一企業の社内ルールがはじまりです。

 本記事は同社を主要取引先(つまりは主要接待先^^)にしていた祖父からの伝聞なので不正確な部分もあるかもしれません.

 

 時は昭和19年.戦局は悪化の一途をたどっていました.ほとんどの若者(そして若者と言いがたい年齢の人まで)は兵士として戦地に赴き,それに対応して国内は空前の人手不足に陥ります.

 その頃,岩手の中学を出たばかりの俊三少年は脚に障害があったため,召集されることなく,故郷を離れ東京都本所区の工場につとめることになります.

 一方の工場側としては待ちに待った新人.しかも,中学まで出ている若い男性社員です.将来の幹部候補として社長以下,下にも置かない歓迎ぶりだったことでしょう.晩年の俊三氏もこの本所工場のことを語るときには決まって懐かしそうに微笑んでいたといいます.

 もっとも田舎な中学を出たばかりの何も知らない男の子.ちょっと「かついで」みたくなるのも人情.乏しい物資をなんとか融通して開かれた歓迎会.返盃しようとお銚子を手に社長の前に進んだ俊三少年に,社長は少し厳しい口調でこう諭します.

 

「お前さんは東京に出てきたばかりなのでしかたないが,お銚子は尖った方を上にし,丸みのある方から注ぐのが礼儀だ」

 

珍妙な礼儀をいぶかる俊三氏に,社長はこう続けます.

 

「いつ毒殺されるかわからない戦国の世から,注ぎ口そのものから酒を注ぐのは不吉として避けるのが武士の慣いだったそうだ.東京は元は武士の町.ちょっとした江戸のしぐさがそこかしこに残っているのだよ」

 

と.戦国時代のお銚子・徳利に注ぎ口があるわけがない(そもそも一升瓶が普及するまでの徳利は輸送・貯蔵用の中・大型容器)のですが, 純朴な俊三少年はすっかり本気にしてしまいます.社長もいつか種明かしをするつもりだったのかもしれませんが,時局がら宴会の席などそうあるものではありません.

 そして迎えた昭和20年3月10日.米軍のミーティングハウス2号作戦は超低高度・夜間・焼夷弾攻撃戦術が本格的に導入された初めての空襲として,下町地区に壊滅的な被害をもたらします.一夜にして東京の3分の1,約41平方キロメートルが焼失し,8万人を超える命が失われました.俊三少年の勤める工場はもちろん,社長も技師長も,事務員さんも…そのほとんどが亡くなりました.俊三は辛くも難を逃れたのですが,

 

「お銚子は尖った方を上にし,丸みのある方から注ぐのが礼儀だ」

 

社長のいたずらは,ついぞ種明かしされることなく,日本は敗戦を迎えます.

 戦後,俊三氏が選んだのは技術者としての途でした.氏が立ち上げた機械部品の工場は高度成長を経て,家電業界に確固たる地位を築きます.

 

その中で,いつからか俊三氏が経営する企業の飲み会には不思議なルールができました.

 

「お銚子は尖った方を上にし,丸みのある方から注ぐのが礼儀だ」

 

と.その理由を問われると俊三氏は決まって,

 

「戦国の世から,注ぎ口そのものから酒を注ぐのは不吉として避けてきた.私が初めて働いた工場で習った酒席の礼儀だよ.」

 

と微笑んだといいます.

 俊三氏はこれがかの社長のイタズラだったことに気づいていたと思います.しかし,生前の氏がこの「礼儀」を「うそ・冗談」として扱うことけしてはなかったようです.

 

 自身の技術者としての第一歩であり,兵役に行くことのなかった(当時の社会でこれがいかに生きづらいことか)自分を歓迎し期待してくれた本所工場.

 社長のイタズラから始まったマナーとその由来が「本当のことのように語られる」ことで,思い出深い工場,そしてそこで共に働いた人たちがどこかで生きているように感じられる.そんな感覚を氏がもっていたのではないでしょうか.

 

人の事績,言葉が他者の記憶として残されている限り,その人はある意味で生きているのかもしれない.一方でこれらが失われたとき,その人はあらゆる意味で死ぬのではないでしょうか.微かな記憶(?)を後世に残すことで,工場のみんなを「生き続けさせる」……そんな心情が生んだ世にも不思議なマナーなのではないかと夢想してしまうのです.

 

 

 

 

さて,話が長くなってしまいましたが,冒頭にお話した通り,本エントリは不正確な語りですし,想像で話を補っている部分も少なくありません.どの部分が,想像か補っておきますと……まず私の祖父は公務員ですし,よく考えたら私が四歳の時に亡くなったのでちゃんと話なんかしたことないし,俊三氏なんて人物聞いたことないし,お銚子を注ぎ口の逆から注ぐとか真面目にやってる人みたら笑っちゃうだけだと思います.あしからず♪