潜在成長率と景気対策の余地

 予告では早速「インフレの作り方」に移る予定でしたが,その前にちょっと間奏曲を入れてみましょう*1

 リフレ寄りの人,批判的な人双方に共通してみられる問題点があると思います.それが「潜在成長率の向上」と「安定化政策」をまるで対立するものかのように論じがちなところです.昨日のエントリでもお話ししたように,安定化政策の成功は政治的にも,データの面で見ても潜在成長率向上に資するのです.そして,安定的な成長を遂げる経済,均衡実質利子率がある程度高い経済では安定化政策も容易になるでしょう*2

 現在の日本では労働力・資本の遊休が発生しています.要はデフレギャップです.現在の日本においてはこの「ギャップを埋める」だけでも経済状態の改善が可能なのです.つまりは今使われていない潜在力を発揮するだけでけっこう成長出来てしまうと言うわけ.潜在的な能力の向上も大切だけど,こういう実力を出し切っていない部分も活用しないと「もったいない」と思いませんか.

 一方でこのような労働力の遊休は構造的なもので,景気が回復しても失業率の低下は起こらないという主張もあり得るでしょう.ここでも昨日の話のむしかえし.

 「全体の景気がよくて,様々な業種で多数の求人が出ている状態」と「現在の仕事を失ったら次の仕事を得られるのがいつになるかわからない状態」で「転職したいな〜」と思うのはどっちの状況ですか? また,「会社がつぶれた,解雇されたから別の仕事を探す」のと「もっと給料が高い仕事があるから移ろう……と考えて転職活動をする」というのではどちらがみなさんは幸せですか?

 雇用のミスマッチ解消のためのミクロ政策は是非必要でしょう.退職金制度や企業年金改革を通じて転職を容易にすることで*3このような構造失業率は低下させられるかもしれません.しかし,労働力の再配分を進める際に,「もっといい産業が出てきたから移動するする」という状況になっていないならば……そのような再配分はかならずや政治的困難にぶつかり,完遂できないことでしょう.

 ここでも制度的な改革と景気の安定化はともに必要であり,相乗効果を持つことなのです. 日本には霞が関もある,本石町もある,永田町もある.ひとつの政策しかできないかのように言いつのるのは論争術としてはありなのかもしれませんが政策論としてナンセンスだと思います.

ここからやや難しい話

 成長政策も重要だけど,安定政策も必要.デフレギャップがある間は安定化政策単独でもいまよりはましなわけです.ただし,デフレギャップは「長期的には」消滅します.そこで次なる疑問.この「長期」はいったい何年なのでしょう.日本銀行の原尚子氏らの研究*4によると日本経済においては92年以降,97年の前半と2005を除く期間中ずっとデフレギャップを抱えています.ここからもGDPギャップは(経済学用語では「短期」ということはできても)日常用語での「短期」の問題とは言えなさそうです*5

 このように長期的に負のGDPギャップが続いた理由としては,繰り返しのネガティブショックがあったからだと考えられる.では純粋な「短期」「長期」を考えるために,「あるショック」の継続期間を考えてみましょう.僕や矢野さんのモデルを引いてもいいけど,それだと信頼されないかもしれないので,以下日本銀行の須合智広氏と上田晃三氏の研究*6

 Sugo and Ueda(2008)では外生需要(モデルで考慮している要因以外の需要)ショックは即座にGDPを上昇させ,その上昇は20四半期(5年)継続します.金融引き締めショックは15四半期(4年弱)のデフレギャップを発生させる一方で,1年弱のラグをもってインフレ率を低下させ,その影響は10四半期(2年半)程度残存するようです.

 そして,みんなが知りたい「インフレ目標率の引き上げ」は! 即座にGDPを引き上げ,その正の影響は1年ほどの間拡大します.その影響力の残存期間は図表に40四半期までしか載っていないのでわかりませんが,40四半期を経てなお残存を続けているのです.もっとも目立った影響が見えるのは15四半期(4年弱)くらいみたいですが.

 ちなみに同期間のGDPを押し上げるのははじめの2年程度は消費と投資,その後は消費です.なんでこんな結果が得られるのか……つまりはなぜ目標インフレ率の設定は効くのか.引っ張って申し訳ないですが,これは次回のエントリということで.

 須合氏らの研究結果はSmetsとWouters*7によるEU圏での研究,Levin*8らの米国での研究とも近く,別段特殊な結果ではありません.ただし,須合氏らの研究の最大の問題点は推計期間は98年まで,つまりはゼロ金利突入前に限られている点にあります.これはゼロ金利期間を(最近まで)経験してこなかった海外の研究でもおなじ.ではゼロ金利期間を含んでもなお以上の話は維持されるのか!? これは現在多くの研究者の課題であり,先駆的な業績として矢野さんの研究*9がありますが……これはまだ小型モデル.中型でのゼロ金利期間を含む推計は,これもそう遠くない先に登場しそうな雰囲気ですよ.

 

*1:というか前書きを書いていたら長くなってしまって本編に入れなくなったわけですがw

*2:ちょっと宣伝.私は2003年出版の拙著『経済学思考の技術』以来,両者は補完的なものであると主張しています.

*3:これは個別企業の人事政策に介入しろといっているわけではないです.単に現行の「ひとつの企業をつとめあげる」ことへの税制的な保護をとりやめるだけで十分に変化は起きると考えています.さらに以下の好況下の再配置をよりスピーディーにするためにもこの種の改革が必要でしょう.

*4:Hara, N., N. Hirakata, Y. Inomata, S. Ito, T. Kawamoto, T. Kurozumi, M. Minegishi and I. Takagawa (2006), \The New Estimates of Output Gap and Potential Growth Rate," Bank of Japan Review, E-3

*5:ちなみにこの長期的に継続するGDPギャップという言葉を聞いて,NK-DSGEのEstimationの問題点にすぐに思い至った人はかなり同種のモデルを扱いなれている人です.でもちゃんと改善方法もかんがえてるよーだ.

*6:Sugo, Tomohiro and Kozo Ueda (2008), “Estimating a Dynamic Stochastic General Equilibrium Model for Japan,” Journal of the Japanese and International Economics 22, 476-502.ただし,自宅にJJIEないので数値等はWPのもの.

*7:Smets, F. and R. Wouters (2003), "An Estimated Dynamic Stochastic General Equilibrium Models of the Euro Area," Journal of the European Economic Association 1.

*8:Levin, A., A. Onatski, J. Williams and N. Williams (2005), "Monetary Policy under Uncertainty in Micro-Founded Macroeconometric Models," NBER Macroeconomics Annual, 20.

*9:Yano, Koiti (2009), "Dynamic Stochastic General Equilibrium Models Under a Liquidity Trap and Self-organizing State Space Modeling," ESRI Discussion Paper Series No.206