5/30日発売『日本史に学ぶマネーの論理』(PHP研究所)
久々の歴史ネタです.
取り扱った時代は7世紀後半から18世紀,古代から近世限定です.
ただし,貨幣に関する通史ではありません.日本貨幣史の中で,貨幣とは何か・転換期の貨幣といったテーマを考えるのに適していると感じたポイントをつまみ食いしています.
ここで少々自慢なのですが,本書の装丁は水戸部功さんに手がけていただきました.サンデルの例のとか,稲葉先生の「新自由主義」とか,ゲンロン叢書のあれとか……いずれもベストセラーばかり.永樂通寶のすかしもバッチリ決まってます.この表紙ならば著者が私でも売れるはず.
即ジャケ買いすべき本ですが,なかには中身に興味があるという方もあるかもしれません.そこで,参考までに,少々詳細な目次を掲載しておきますね.
『日本史に学ぶマネーの論理』 目次
はじめに第1章 国家にとって「貨幣」とは何か──律令国家が目指した貨幣発行権
1 はじまりの貨幣
日本最古の貨幣/貨幣に関する用語整理/古代貨幣の謎──富本銭の発見/無文銀銭から富本銭へ/富本銭プロジェクトの限界2 本格的名目貨幣としての和同開珎
プロモーション戦略と改元/「つなぎ」としての和同開珎銀銭/和同開珎銅銭の受難3 その後の和同開珎と銭のない時代
貨幣の3機能/価値尺度機能と貨幣発行益/古代貨幣の黄昏/皇朝十二銭──〈価値保蔵機能〉の喪失/貨幣発行益の本当の目的/政府貨幣の古代史の終焉
第2章 貨幣の基礎理論を知る──マネーは商品か国債か1 物々交換神話とマネーのヴェール観
欲求の二重一致/交換の要としての貨幣/貨幣は中立的か非中立的か/価格硬直性と貨幣の役割2 負債としてのマネーと貨幣法制説
贈答関係とマネー/貨幣法制説と政府負債/貨幣発行益が生まれる条件3 貨幣の完成と無限の循環論法
貨幣の本質はどこにあるのか/貨幣であることのプレミアム
第3章 信頼できる債務者を求めて──貯蓄への渇望が銭を求めた1 古代から中世の日本経済
律令制と古代の高度成長/分権化する経済支配/衰退の中世と繁栄の中世2 銭なき時代から貨幣の機能を考える
信用経済は現金経済に先行する/債権者がいない負債/資産と負債の割引現在価値/貯蓄手段の渇望3 中世銭貨はいかにして貨幣となったのか
商品説から生まれ法制説によって成る/不足する銭とデフレーション/金融業の隆盛と室町時代の最適期/さらなる「信頼できる債務者」の登場/マネーの量は何が決めるのか/信用経済の終焉とその後の貨幣
第4章 幕府財政と貨幣改鋳──日本における「貨幣」の完成1 三貨制度と江戸経済の260年
本位貨幣としての金・銀/寛永通宝とグレシャムの法則/新田開発ラッシュと江戸の経済成長2 元禄の改鋳──名目貨幣への道
慢性化する財政赤字/名目貨幣の復活としての元禄改鋳/二朱金の発行と改鋳の進捗/改鋳による利益と改鋳への批判/貨幣発行益はどこから来るのか3 転換点としての元文の改鋳
正徳の改鋳がもたらしたデフレーション/重商主義の誤謬と根拠/享保の改革の意義と限界/そして元文の改鋳へ4 完成する日本史の中の貨幣
田沼期の政治と金貨の銀貨化/家斉・忠成の改鋳と名目貨幣の完成/「日本の貨幣」の終焉
終章 解題にかえて──歴史から考える転換期の貨幣
税金クーポンとFTPL/信頼できる債務者としての政府/定常不況と貨幣の呪術性・神秘性/シニョリッジは誰のもの?/暗号通貨と複数通貨の可能性
おわりに
参考文献
本著の中心部分を書いていたとき(年末年始あたり)にはあまり意識していなかったのですが,昨今の経済政策を巡る論戦を受けて,元々はサブテーマくらいに考えていた「国家債務としての貨幣」についての言及多めに仕上がっています.
新刊が出るときくらいしか更新していない本blogですが,今回は発売前からぼちぼち告知と書籍に関連した雑談を書いていきたいと思います.「(個人的には)面白いんだけど議論の流れと関係ない歴史ネタ」,「細かすぎて一般書で書く内容ようじゃないもの」が結構あるものですから...
『新版 ダメな議論』(ちくま文庫)発売です
2006年にちくま新書より刊行された『ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)』がなんと!12年ぶりに文庫として発刊されました! 奥付は11月8日ですが書店に並び始める&amazonで在庫有りになるのが今日(11月10日)のようなので,満を持しての宣伝エントリです.
文庫版ですから,旧バージョンを持っている人には関係のない話・・・・・・とおもわれるかもしれませんが,タイトルを見て下さい!『新版 ダメな議論 (ちくま文庫)』ですよ.「新版」だし,「論理思考で見抜」いてないですよ! もう一冊買うべきです……とはいえまぁ旧バージョンを底本にしていまして,新章以外の内容面で大きな差はありませんが(大風呂敷ですいません).
改訂のために12年も前の自著を読み返すのはなかなか恥ずかしいもので……12年前の自分がこんなにもったいつけた(なんというかモタモタした)文章を書いていたとは気づきませんでした.こんなはなしに何ページも使うなよ!数行でまとめろよ!という箇所がけっこうある.そこで改訂の際は「くどい!」と感じた部分をばさばさ切りました.
その結果文字数は30%ほど減少……その分を新しいデータを補ったり,新章を足して最終的には旧バージョンとほぼ同じ分量の新版となっております.「新版」の章立ては,
はじめに
第1章 常識は「なんとなく」作られる
第2章 ダメな議論に「気づく」ために
第3章 予想される「反論」に答える
第4章 日本経済のダメな議論
第5章 ネット時代のダメな議論
文庫版おわりに
となっております.第2章・3章は比較的旧バージョンとの差が小さいですが,第1章は2018年現在にあわせて改訂し,第4章(旧4章・5章を加減)はそれ以上に書き換えています.
このように書くと,ここ12年の様々なダメな議論を紹介しているのか……と思われるかもしれませんが,旧バージョンでも取り上げたBSE(牛海綿状脳症)問題やニート・フリーター論,構造改革なくして成長なし論などはそのまま生かして論じています.問題自体が落ち着いた今だからこそ,12年前に書いたとき以上に当時の主流だった説のダメさがはっきりわかるという部分もあるんですよね.
一方,どうしても加えなければならなかったのが5章.旧バージョン発刊の2006年っていったらtwitterのサービス開始の年(日本版は2008年)ですよ.新聞やTV,ホームページやblogといいった媒体を用いた言説とは異なる,現代のダメな議論への注意点などをまとめています.
しかし,『ダメ』が12年も前の本なのかぁ……2006年ってそもそも俺何してただろう……当時の発売告知エントリ「見本出来→来週発売 - こら!たまには研究しろ!!」みたんだけど……もう少しやる気出せよお前.まだ著書を宣伝しまくるのはちょっとなぁという羞恥心を持っていたことを思い出して赤面する43歳の冬でありました.
みんな必読の岩田規久男『日銀日記』
先週,岩田規久男前日本銀行副総裁の『日銀日記』が発売されました.すでに入手済みの方も多いかと思いますが,改めて本当にお薦め♪ 金融政策のお勉強と同時代史,日銀の中で何が行われているか・・・・・・同時に学べる本です.現在の金融緩和政策に好意的な人はもちろん,批判的な人にも楽しめるんじゃないかしら.
就任当初から出版向けに日記をつけているとおっしゃっていたので,いつでるか・・・と心待ちにしておりました.あえて「日記」という形式にしたことで,金融政策の大転換から急速な経済状況の改善,その頓挫からの再生を巡る思考を時系列で追うことが出来る構成になっています.
或るマナーの話
twitterで定期的に話題になる「謎のマナー」.今週の注目は,お銚子(徳利)からお酒を注ぐ際の方向について.
テレビで酒を注ぐ時に徳利のとんがってる方から注ぐと「縁を切るという意味に繋がって失礼」とか言ってたが、またまたバカな新マナーが出てきたもんだなと思った。
— リッキーポエム (@rickypoem) August 16, 2018
俺が注ぎ口上に向けて注ぐ奴を見たら、道具の使い方を見た目で理解できないバカとしか思えないぞw普通そうだろww
という……まぁ確かに馬鹿みたいなルールですよね.そもそも,「注ぎ口から注ぐべからず」という,まぁ一休さんみたいな話ですし.
でも,このルールを聞いたとき,私はふと懐かしく思ったのです.そして,TVをみたご年配の方のなかにも同じ逸話を思い出した人がいるんじゃないかな.少々長い話ですが,ご興味の向きは何卒最後までおつきあいをmm
この謎マナーのルーツを戦国時代だの江戸だのいっている人がいますが,このマナー……というかしきたりが生まれたのは戦中~戦後のこと.しかも,名前を変えて今も残る一企業の社内ルールがはじまりです。
本記事は同社を主要取引先(つまりは主要接待先^^)にしていた祖父からの伝聞なので不正確な部分もあるかもしれません.
時は昭和19年.戦局は悪化の一途をたどっていました.ほとんどの若者(そして若者と言いがたい年齢の人まで)は兵士として戦地に赴き,それに対応して国内は空前の人手不足に陥ります.
その頃,岩手の中学を出たばかりの俊三少年は脚に障害があったため,召集されることなく,故郷を離れ東京都本所区の工場につとめることになります.
一方の工場側としては待ちに待った新人.しかも,中学まで出ている若い男性社員です.将来の幹部候補として社長以下,下にも置かない歓迎ぶりだったことでしょう.晩年の俊三氏もこの本所工場のことを語るときには決まって懐かしそうに微笑んでいたといいます.
もっとも田舎な中学を出たばかりの何も知らない男の子.ちょっと「かついで」みたくなるのも人情.乏しい物資をなんとか融通して開かれた歓迎会.返盃しようとお銚子を手に社長の前に進んだ俊三少年に,社長は少し厳しい口調でこう諭します.
「お前さんは東京に出てきたばかりなのでしかたないが,お銚子は尖った方を上にし,丸みのある方から注ぐのが礼儀だ」
珍妙な礼儀をいぶかる俊三氏に,社長はこう続けます.
「いつ毒殺されるかわからない戦国の世から,注ぎ口そのものから酒を注ぐのは不吉として避けるのが武士の慣いだったそうだ.東京は元は武士の町.ちょっとした江戸のしぐさがそこかしこに残っているのだよ」
と.戦国時代のお銚子・徳利に注ぎ口があるわけがない(そもそも一升瓶が普及するまでの徳利は輸送・貯蔵用の中・大型容器)のですが, 純朴な俊三少年はすっかり本気にしてしまいます.社長もいつか種明かしをするつもりだったのかもしれませんが,時局がら宴会の席などそうあるものではありません.
そして迎えた昭和20年3月10日.米軍のミーティングハウス2号作戦は超低高度・夜間・焼夷弾攻撃戦術が本格的に導入された初めての空襲として,下町地区に壊滅的な被害をもたらします.一夜にして東京の3分の1,約41平方キロメートルが焼失し,8万人を超える命が失われました.俊三少年の勤める工場はもちろん,社長も技師長も,事務員さんも…そのほとんどが亡くなりました.俊三は辛くも難を逃れたのですが,
「お銚子は尖った方を上にし,丸みのある方から注ぐのが礼儀だ」
社長のいたずらは,ついぞ種明かしされることなく,日本は敗戦を迎えます.
戦後,俊三氏が選んだのは技術者としての途でした.氏が立ち上げた機械部品の工場は高度成長を経て,家電業界に確固たる地位を築きます.
その中で,いつからか俊三氏が経営する企業の飲み会には不思議なルールができました.
「お銚子は尖った方を上にし,丸みのある方から注ぐのが礼儀だ」
と.その理由を問われると俊三氏は決まって,
「戦国の世から,注ぎ口そのものから酒を注ぐのは不吉として避けてきた.私が初めて働いた工場で習った酒席の礼儀だよ.」
と微笑んだといいます.
俊三氏はこれがかの社長のイタズラだったことに気づいていたと思います.しかし,生前の氏がこの「礼儀」を「うそ・冗談」として扱うことけしてはなかったようです.
自身の技術者としての第一歩であり,兵役に行くことのなかった(当時の社会でこれがいかに生きづらいことか)自分を歓迎し期待してくれた本所工場.
社長のイタズラから始まったマナーとその由来が「本当のことのように語られる」ことで,思い出深い工場,そしてそこで共に働いた人たちがどこかで生きているように感じられる.そんな感覚を氏がもっていたのではないでしょうか.
人の事績,言葉が他者の記憶として残されている限り,その人はある意味で生きているのかもしれない.一方でこれらが失われたとき,その人はあらゆる意味で死ぬのではないでしょうか.微かな記憶(?)を後世に残すことで,工場のみんなを「生き続けさせる」……そんな心情が生んだ世にも不思議なマナーなのではないかと夢想してしまうのです.
さて,話が長くなってしまいましたが,冒頭にお話した通り,本エントリは不正確な語りですし,想像で話を補っている部分も少なくありません.どの部分が,想像か補っておきますと……まず私の祖父は公務員ですし,よく考えたら私が四歳の時に亡くなったのでちゃんと話なんかしたことないし,俊三氏なんて人物聞いたことないし,お銚子を注ぎ口の逆から注ぐとか真面目にやってる人みたら笑っちゃうだけだと思います.あしからず♪
地位財+コース>ロールズ
タイトルはなんとなく「r>g」みたいなことを言いたかっただけなんですが。。。再分配に関して目から鱗の指摘をしてくれるのがこの本です.
『ダーウィン・エコノミー*1』よりも,地位財・コース(Ronald Coase)・ロールズ(John Rawls)あたりが入ってた方が方が内容を端的に表している気がします.
再分配はとどのつまり「誰かの財産を奪って」誰かに与えることですから,正当化に相当の理由が必要です.その正当化の理由の一つ--そして,私自身が最もよく使ってきたロジックがロールズ(John Rawls)の「無知のベール」を援用するもの.ここでは,無知のベールをちょっと経済学風味にした公正観察者バージョンの説明を貼っておきます.
再分配政策は保険です.この考え方に基礎を与えるのがハルサーニ(John C. Harsanyi)の「公正観察者(impartial observer)」という概念です。これは「生まれる前の人間」のようなものだと考えてください.おとぎ話風に言えば,コウノトリがどのお母さんのお腹に命を宿そうか上空で考えているような時点です.想像してください.現在のあなたはコウノトリの籠にいる「命の種」です.
命の種の段階では五体満足か否か、頭がいいのか悪いのか、勤勉か怠惰か,どんな国や家庭に産まれつくのかといった様々な要因は全くの未決の状態です.現実世界の私たちは――例えば筆者の場合は「日本人で」「男で」「大学教員で」といった属性に依存して物事を観察せざるを得ません.それに対し,この命の種には何の属性もないので公正な観察者と言えるわけです.
公正観察者・命の種であるあなたは自分がどんな属性の人間になるのかについて不安ですよね.すると「不幸な生まれになってしまった場合の保険が欲しいな」と考えるんじゃないでしょうか.生まれてくる前に後の不幸についての保険をかけることが出来たらみんな入るんじゃないでしょうか.
もちろんこんな保険は成立しません.通常の保険は常々掛け金をかけておき、実際のアクシデントが生じたら保険金が支払われるという契約です.しかし,この命の種保険は前もって保険料を徴収する事なんて出来ません.なんといっても命の種なんて実際には存在しないのですから! このような「命の種への保険」を税金という後払い形式で行っているのが再分配政策なのです.
from 飯田泰之『ゼロから学ぶ経済政策』
自分で書いといて何ですが,この論理,ちょっと弱いと思いませんか? 実際に意思決定するのは「生身の」「現実の」人間です.すでに自分が「金持ちの家に生まれた」「金を稼ぐ能力がある」ことを知っている状況で,自身の置かれた環境を完全に忘れて社会を構想するとか,税制への意見・態度を決める……理屈では可能でも現実的ではないですよね.
本書の議論は,再分配の正当化について上記のものより遙かに説得的な論理を提供してくれます.なんと本書では「合理的なリバタリアン*2ならば(現在世界で行われているような)再分配政策に賛成せざるを得ない」ことを証明しているのです.
議論の前提は,現代の経済で人々の満足度をたかめる多くのものが地位財である点+いかにも累進課税や公共福祉に反対しそうな富裕層ほどその傾向が強いであろう点.
ちなみに地位財とは,他人に対して優位であることによって満足度が得られるモノ・コトを指します.例えば,周りがみんな1万円くらいの時計をしているときにOMEGAの時計持っていたら……すごく満足だけど,周りがみんなROLEXしてたらOMEGAじゃ満足出来ない……というとき,この時計は地位財というわけ.さらに,社会の中で「偉い人」「成功者」として認識されることなんかも文字通りの「財」じゃないけど典型的な地位財ですね.
地位財のポイントは「自分より下の人」が居てくれないと効用(高揚?)を感じられないところ.全員が同じモノを持っていたら全然意味がないわけ(それがどんなに素晴らしいモノでも).
地位財を得るためには……「自分より下でいてくれる人」が不可欠です.しかしノーフリーランチは経済学の大原則.「自分より下でいてもらう」ためには対価が必要--それが再分配というわけ.
ここで,
・自分の(そして自分以外の)特性・能力が十分わかった上で
・ゼロから社会を作る(または自分が納得いかないルールの社会からは逃げられる)
というとき……自身の効用を最大化する合理的なリバタリアンは,累進課税と低所得者への支援といった一般的な再分配のある社会を選ぶことになります.
その証明にはコースの定理が活躍するのですが,地位財の仮定とコースの定理から「無知のベール」「公正観察者」というフィクションなしに社会契約として再分配政策の成立を示すことが出来てしまう……ここにおいてロールズの超克*3が果たされたのです。。。
詳細は本嫁。。。ではありますが,本書の示唆は実はとんでもない社会的,政策論的なインパクトがあります.本書のなかで繰り返し登場する,富裕層への減税は富裕層の効用をあまり上昇させない(逆もしかり)という点も重要な提言ですが,この議論を私なりに拡大し,先鋭化すると
という結論が導かれてしまう。。。低所得者層が海外に脱出出来る状況では,再分配が不十分だと低所得者が海外に流出してしまい,高所得者層が一番欲しい地位財を入手出来なくなってしまう.すると高所得者もまた,地位財を得られる海外に流出することになるでしょう。。。それを防ぐにはそれなりに再分配が必要であり,再分配は高所得者を不幸にしない……これって北欧を説明する理論モデルにもなり得るのでは?
現実の政策論として,累進消費税や公共事業の重要性など非常に興味深い論点がたくさん示されているのですが,個人的にはロジックそのものに心動かされた本であります.