ある意味やばい経済学

 ちょっとした解説文を書いていて大きな壁にぶつかってしまいました.財政政策のお話なんだけど,「中立命題が成立しているならば乗数の大きさは均衡予算乗数に等しい」っ書こうとしたんですが…….
 3ヶ月前までなら,「需要制約下ならまぁ教科書的にはそうなるよ」という感じでさらりと書けたはずなんだけど,今や「需要制約下だろうとケインズ型消費関数を前提にして良かろうとこれはダメだ」と知っている.どうしよう.


 と,ここまで読んでピンと来た人はかなりの経済学通.今日のお話は小野善康先生の論文(Yoshiyasu Ono, Fallacy of the Multiplier Effect: Correcting the Income Analysis, ISER Disscussion Paper #673, October 2006.)のお話.
 
 均衡予算乗数は1*1って学部の基礎マクロでも教える話で,いまさら議論してもしょうがないと考えがちだけど……よ〜く考えてみるとこれは変だ.

  • 失業保険を徴収してそれをある失業者にそのままあげる
  • 税を徴収してそれを使ってある失業者を雇うのに使う(雇われた失業者はなにもしない)

 前者は単なる再分配.後者は財政支出だから(均衡予算)乗数効果が生じる.しかし,両ケースでマクロの可処分所得は全く変わらない.だって,お金をあげる行為の「呼び方」が違うだけなんだもん.そこで,

小野の命題1:均衡予算を守った上での,無意味な公共事業と失業保険は同じモノ

ということができる.
 なんでこんな食い違いが起きるんだろう?これはみんなが嫌いな(笑)GDP統計の性質に由来する.GDP統計では政府支出はその支出分と同じだけの付加価値を生んでいると仮定して集計される.その結果,(そのなかみは全く同じであっても)統計上政府支出に分類される支出は統計上のGDPを上昇させ,再分配にあたる支出はそのような効果を持たないことになる.均衡予算乗数が1っていうのは単にGDP統計のルール(のまずいところ)から生じる間違いみたいなもんで,経済理論上の結論ではなかったんだ!
 もう少し詳しく説明すると,GDPは「ある年に国内経済が生み出した付加価値総額(y)」を計算するための道具だ.言うまでもなく意味があるのはyの方.GDPはなかなか良くできた統計だけれどyをぴったり正確に測れている訳じゃない*2.均衡予算の元で無意味な政府支出をするというのは,GDPは上げるけどyには影響しない.マクロ経済学の教師が学部の一年生をびっくりさせるためによく使うネタ−−「穴掘って埋めるほうが減税より効果が高い」は全く間違いだというわけ.


 でも,政府支出と失業保険はなんか違うような気もする.この直観も正しい.上に書いた失業者の例で言うと,政府が雇った失業者が「なんか付加価値を生み出せば」その付加価値分,yは上昇する.したがって,

小野の命題2:均衡予算乗数(あるいは財政支出乗数と減税乗数の差)は政府支出の生産効率で決定される.

政府が役に立つことに支出すると意味があって,役に立たないことに支出すると意味がない.実にあたりまえ.なんと!経済学無関係の常識の方が正しいことがわかってしまった.


 不況定常の動学モデルといい,この話といい,小野先生の話はマクロ経済学者の虚を突いてくる.これはずっとマクロを研究してきた人には,従来の常識にどっぷりつかりすぎていて,とてもマネ出来ない*3芸当なのではなかろうか.
 しかし,このように整理したところで依然,二つの問題が残されている.ひとつは,僕はなんて書けばいいんだ……という問題.そしてもうひとつは,小野先生のHome Pageはいったいいつになったら更新されるのかという問題だw

*1:海外を捨象した場合

*2:この手の統計の問題については,『ダメな議論』p88-92参照.

*3:知らない人がいるといけないので解説しておくと,小野先生のメインフィールドはなんといってもNew IO.業績一覧を見よ.