「意識が高い」ということに関する雑感
自分が担当する学生,特に意識の高い学生からたまに「友達のほとんどは自分の将来や日本の社会について深く考えようとしていない……不満だ」みたいなことを聞きます.なんというか自分は「意識が高い」けど,他の多数は「意識が低い」みたいな…….
実は,僕は高校時代に全国高校生新聞会議という政治問題とかを考えるインタースクールの集会みたいなのに出てまして(出てるもなにも新聞部でもないくせに実行委員長までやったw),ここでもこういう感想のオン・パレードでした.
でも,実は「友達のほとんどは自分の将来や日本の社会について深く考えようとしていない」人なんてほとんどいない.特に前者に関しては単に自分と同じ嗜好をもっていないだけだったりする.僕は,18歳で中学受験の塾講師をはじめて以来教歴すでに12年*1ですが,ケバイオネーチャンが意外と(失礼)将来について真剣に考えたりしているものです.また,将来なんてどうだっていいという発想は単なる割引因子の大小の問題*2で,真剣に考えた結果……経済学的には最適化行動の結果,「将来なんてどうだっていい」という結論になること(人)だってあります.
以上前置き
私は今でこそ学者もどきのような渡世をしているのでそれを知っている初対面の人といきなり政治・経済の話になったり*3しますが,普通の知人同士でよほどの親友でもないのに将来の話や政治の話をされたら普通ひきます.というか,いきなりそんな話ふってきたら「こいつは馬鹿か政治・宗教団体関係者だ逃げれ」と思う.
すると,意識の高い学生にありがちな「友達のほとんどは自分の将来や日本の社会について深く考えようとしていない……不満だ」という感想は,その人が馬鹿である,または将来のことや日本の社会を話し合うほど深いつき合いの友達を持っていないだけ(のこともしくは政治or宗教団体関係者だw)なんじゃないかと思います.
以下インプリケーション
以上の議論を敷衍すると,インタビューによって「○○生だのNEETの問題意識・関心」を調査する研究(?)って単にインタビュアーがどの程度インタビュイーと信頼関係を築けたかという……インタビュアーの才能を計測しているだけなんじゃないかと思います.
しかも,単に都合のいい結論出してきた場合「素晴らしい」で,都合悪い結論を出してきた場合は「インタビュアーの能力がない」で片づいてしまう.「秘訣」みたいなものを聞き出す研究というのならばインタビューは意味があるけど意識・関心を調査するためにはあんまり良い方法じゃないんじゃないかと思うんだけどどうでしょ?
多分似たような指摘はだれかがしていると思うんで,むしろこの種の批判の代表的な文献とか有りましたらご教示下さい.