分断された思考の必要性

稲葉先生のblogでの議論に触発されての雑感ですが……政策的課題ってホントに多岐にわたるんで積極的に「総合的思考・複眼的思考」よりも「分断された単眼的な思考」が必要とされているように思われます.以下は僕が考える「分断された単眼的な思考」の手続き.

  • 部分均衡的思考

細かく分割した思考というと経済学をやったことがある人がすぐに思い浮かへるのはこれでしょう.これを経済学以外にも適用すると,今,主に問題にしているものだけをpick upしてその関係の枠組みのみから影響を考えるという手法とでもいいましょうか.まず議論の出発点はここだと思います.

しかし,部分均衡的な思考法を直接現実の問題に適用できることは稀です.通常は,次のステップとして,いくつかの部分均衡的なモデル間の関係を組み合わせてモデルを閉じるという作業が必要になる.例えば,マクロ経済政策と所得再分配問題を組み合わせるとかです.ここまで来ると,あとは政策的にコントロールできる変数をどのように調整すると目的関数を最大化できるか分かるので,目的関数の是非についてに議論が集約できる.

ここまで議論を積み上げると,その評価は(簡単化の方便ではない不可欠な)仮定,導かれるインプリケーションの実証的妥当性をシミュレーションor計量的に評価するということになり非常に話は簡単になる.

僕は,生意気にも,一橋の渡辺先生と論争したことがありますが(『論争日本の経済危機』第Ⅲ部),ペーパーのやりとりと言う形で,論争していてストレスにならなかったのはこの種の「ルール」に基づいた論争を出来たからだと思う.そして,渡辺先生はそう思ってないかもだけど(^^),どこが合意できる点でどこが意見の相違なのかも明確することができたと感じています.もしそういうルールみたいなのがないと論争ではなく口げんかになっちゃう.これはエネルギーの無駄なのであまりやりたくないし,その論争を観戦(?)する側にも無益だ.

その意味で,別に上の方法論ではなくて良いから,社会科学系にとっての議論のルールのようなものが形成されればなぁと思うことよ.