福井総裁(続)

基本的にはJMMの月曜版(6/26)で書いたことと同じですが一部改訂してあります.

 もし「福井総裁を解任すべきか?」と問われたならば、Noと答えます。倫理的な問題はさておき現時点では解任・辞職勧告に相当する問題に関しては、現時点では、「疑惑」の域を出ていないと考えられるからです。一方、「日本経済(または今後の金融政策)のためには福井総裁は辞任したほうがよいか?」と問われたならば、その答えはYesです。

マスコミや各種blogを概観すると、世論の一部に「庶民はゼロ金利政策によって苦しんでいるのに、その立案者である日本銀行総裁は高利回りの投資収益を得ていた」ことへの強い批判があるようです。この批判は多くの意味で誤りです。

 ゼロ金利政策は住宅ローンをはじめとする借入を有利にし、さらには多くの「庶民」の雇用主である企業を助け、その結果として株価を下支えてきました。すると、「低金利によって苦しんだ」のは

  • 労働所得や自営業による収入より資産所得が多く
  • さらにその資産を事業や株式投資に出はなく銀行預金を中心に運用している

という家計のみだということになります。加えて、90年代央からつづくデフレは、たとえ金利がゼロだったとしても、財・サービスの値下がりによって「同じX万円の“つかいで”の増大」という利益(正の実質利子率)を得ています。この種の感情的な福井総裁批判に首肯したひとはもういちど胸に手を当てて「金利が低いことによって自分がそんなに損をしただろうか??」と自問自答してみると良いでしょう。

 しかし、残念ながらこのような感情的な反発は論理的な思考よりも強力です。このよう感情的な批判が世論の大勢を占めるに至ると、福井総裁の進退問題は日本経済に大きな影を落とすことになりかねません。現在日本銀行ゼロ金利政策の早期解除を念頭に行動しています。しかし、いまだインフレへの転換は明確ではなく金融引締は尚早であるとも考えられます。さらに先月来の株安はさらなる引締姿勢の問題点を明らかにしています。

 ここで福井総裁が留任したケースを考えましょう。ゼロ金利解除を遅らせると(私は経済政策という観点のみからならばこれは妥当な選択だと思います)「福井総裁は金融緩和継続を主張する与党と裏取引して自分の椅子を守った」と受けとめられるでしょう。これは、これは中央銀行の信認・独立性にとって大きな疑念を抱かせることになります。その結果、今後の経済情勢に拘わらず、福井総裁はゼロ金利解除を急がざるを得なくなります。これはまさに、本来の日本銀行の目標である「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」(日銀法第2条)以外の利害を目標に行動するという利益相反の問題を生むのです。金融引締バイアスの強い中央銀行がもたらした悲劇については日本は十分に経験済みだと思います。

 総裁の留任は、「日本銀行の信認と独立性の毀損」「利益相反による引締バイアス」の何れかを生まざるを得ません。その結果、法の精神に則ると「やめさせることはできない」が、日本経済と日本銀行のためには「自主的にやめてくれることが望ましい」という矛盾した結論が導かれます。

 よりメタレベルでの論理に注目すると一番の問題は、日本銀行の政策目標が抽象的で利益相反疑惑を生みやすいという制度的欠陥にあることに気づきます。日本銀行の政策運営は裁量的で、具体的な目標は公にされていません。その結果、個々の金融政策がどのようなインセンティブに基づいて行われているのかが明確ではないのです。福井問題は、裁量的な金融政策の持つミクロ的な問題点にあらためて気づくきっかけとも言えるのではないでしょうか?

そして福井総裁は留任し,金曜にはゼロ金利解除です.金融政策はラグを伴いますから,ゼロ金利解除が半年後の景気低迷を生んでもそれに気づく人はすくないでしょう.暮れから年明けにおきたなんかの事件と勝手に結びつけられておわるんじゃないかと今から早くも心配です.