齊藤先生へのリプライ

 twitter上での僕の発言

iida_yasuyuki 日本経済は長期均衡水準らしい……現状を非自発失業がない状態だと考えられる人はよほどにおめでたいと思う→ 【齊藤 誠 低生産性・高コスト構造を自覚せよ】 http://ow.ly/2UZv1


に対し,齊藤先生がコメントされているので,そのリプライを*1

まずは謝罪

 「おめでたい」についてですがこれは素直に申し訳ありませんでした.普段比較的激しい論争の渦中にいることが多く,中傷というほどの気持ちではなくちょっとした皮肉のつもりで書いてしまいました*2.お気に障る表現になってしまいましたこと,大変申し訳ありません.

そして反論

 私自身には「斉藤先生は全ての失業を自発的失業だと主張している」と言うつもりはありません.サーチ理論に基づく均衡における(ある意味自発的ではない)均衡失業を教科書的な,または普段用いるタームに翻訳すると摩擦的失業ということになるでしょう.僕は別に摩擦的失業がないとか問題ではないという話をするつもりもありません.
 あくまで,教科書的な意味または現代的な意味双方において,「長期均衡水準にある=GDPギャップはない=非自発的失業がない」というのは不自然だ(少なくとも僕は全然納得できない)というのが発言趣旨です.


以下,その理由

現在の経済環境が長期均衡水準と考えるのには無理がある

 実際に潜在成長率と現実の成長率の間には,教科書的な意味での総需要・総供給の不均衡と考えても,現代的なモデルでそうするように長期均衡水準(価格硬直性がない場合の均衡)からの乖離と考えても,ギャップがあります.前者の意味ではマクロ計量モデルで計算された(要は各シンクタンクなどが発表する)デフレギャップがあること,後者の意味ではYano, Iida and Wago(2010, ESWC2010)などのNK-DSGEモデルにおけるGDPギャップの存在などに示されるとおりです.

現代的な意味での非自発失業について

 この用語の使用が不用意であるとのご指摘はごもっともです(私は非自発的失業という用語は未だ有用だと思っているのですが,このような批判もわかります).
 ただし,リンク先の齊藤先生のエッセイにもあるように,ある現象を均衡モデルに落とし込むのはひとつの便宜です.実質賃金が十分調整されないことから,この調整が完全なときよりも雇用量が小さくなることがある.これが教科書的な実質賃金高止まりによる不均衡と非自発的失業の現代版ではないでしょうか.つまりは,

  • 「不均衡による記述」の困難から,「長期均衡水準とそこからの(一時的)均衡水準の乖離」という読み替えを行う
  • この作業によって,非自発的失業は雇用量ギャップ(長期均衡水準を下回る部分)に翻訳された

というのが僕の理解です.
 価格硬直性の問題が解決された長期均衡水準からの乖離……なかでも負のGDPギャップ,または負の雇用量ギャップが存在する.これは「現代的な意味での非自発的な失業」は存在しているということです.その意味で非自発的失業は確かに存在しています.

現代的なモデルと古典的なモデル

 これが失礼な表現になってしまった影の(?)原因でもあるのですが,齊藤先生の発言に僕はどうしても「先端的なモデルはあらゆる面で古いモデルより優れている」という判断を感じてしまうのです*3.これは少々ナイーブではないかというのが僕の感想です.
 ここ数年私はアカデミックにはニューケインジアンDSGEモデルを研究しています.純粋に理論的な論文を除くと,直近の中型のニューケインジアンDSGEモデルには事実上びっくりするほど古典的なフィリップスカーブが含まれています.一応はprice indexationという「ミクロ的基礎?」を想定するのですが,元々は古典的なフィリップスカーブを入れないと実証上のパフォーマンスがあまりにも悪いことから考えられた苦肉の策です.
 この例と同様に,時代遅れなモデルの方が時として現象の説明に有力な例は結構ある*4.自分がNK-DSGEのような均衡アプローチを使っておいてなんですが,僕はいつも「もしかしたら不均衡で考える方がよいのではないか」といつもなんだか心配しながら使っています.この種の不安からフリーなことがよく言えば眩しい,普通に言えば不用意,失礼ながらおめでたく見えるのです.

(おまけ)為替レートは今が適切な水準か

 また,今回の議論の元になった,


への直接的なコメントを少々.購買力平価水準よりも3割高い為替レートが自然水準というのは理論的に正当化しづらいのではないでしょうか.さらに人為的に変更できる名目為替レートの「自然水準」を議論すること自体にも疑問があります.為替レート,そして実質為替レートについては,ちょっとこのblogを普段覗いてくれてる方にとって意外なところで書きたいと思うのでしばしお待ちアレ*5

*1:メールもいただいたのでそのメールへの返信のうち公表されたHP上のエッセイに関する部分をリライトしました.それにしても昨日のエントリとの差の激しさに我ながら驚く.

*2:これは実際感覚が麻痺してきたかも知れない.blogやtwitter上での議論に慣れっこの人とそうでない人では,今後表現を変えるようにしなければならないと感じました.

*3:もちろんご本人にそういう意図があるかどうかはわかりません.あくまでそう読めるという意味です.

*4:全く反対の「逆転」の例として,'50sに新古典派理論が「学説史上の存在」になりかけていたことを想起ください.

*5:多分来月半ば……かな